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夫を亡くしたお母さんには、ふたりの子どもがいるが、遺言で「ひとりの子どもAだけに財産の全部を相続させる」という遺言を残すと、どうなるだろうか?

全部を相続した子どもAに、相続分がなかった子どもBから金銭を支払いなさいという請求が届くことがありうる。

この金銭が「遺留分」と呼ばれる、遺言でも侵すことができない相続人固有の相続分の持ち分なのだ。「遺留分」とは法定相続分の半分である。


法定相続分とは、被相続人の財産のうち、配偶者が2分の1、子ども全員で2分の1(子どもの数で割る)、両親二人で3分の1、兄弟全員で4分の1とされている。

配偶者は相続人に絶対なる。子どもも相続人に絶対なる。子どもがいないと、両親が相続人になり、両親が亡くなっていると、兄弟が相続人になるという仕組みだ。


とても大事なことだから念のため、再確認。

法定相続人が配偶者のみの時は100%を配偶者が相続。

法定相続人が配偶者と子どもの時は、配偶者が2分の1,子供が全員で2分の1

法定相続人が配偶者と両親の時は、配偶者が3分の2で、両親二人で3分の2

法定相続人が配偶者と兄弟の時は、配偶者が4分の3で、兄弟が全員で4分の1

法定相続人が子どもだけの場合は、子ども全員で100%を相続

法定相続人が両親だけの場合は、両親が100%を相続。

法定相続人が兄弟だけの場合は、兄弟が100%を相続。

法定相続人がまったくいない場合で特別縁故者もいない場合は、原則、相続財産は国庫に帰属することになる。少子高齢化時代の今、増えているケースだ。


そして遺留分を持っているのは、配偶者、子ども、両親である。

兄弟には遺留分はない。


さて全部相続の子どもAと、相続無しの子どもBという遺言の話に戻る。

財産は3000万円の不動産だった。法定相続分はAもBも2分の1で、1500万円ずつである。それを母親は遺言で、Aにだけ3000万円全部の不動産を相続させた。不動産は土地建物で特に家は半分に切ることはできないし、敷地の土地も半分に切ると家が建っていられない。母の遺言とは言え、Bは不満である。なんでAにだけ相続なんよ?


そこで登場するのが遺留分である。Bの遺留分は1500万円の2分の1の750万円だ。

この遺留分を侵害した金銭の750万円を侵害者に請求する権利を「遺留分侵害額請求権」という。すでに相続は終わっているので、この侵害額の金銭は相続財産ではなく、Bの固有の債権と見做される。支払いは現金でなくてはいけない。

Aは不動産は相続したものの、手元に750万円の現金はない。なおかつ遺留分侵害額は請求されたらすぐ払わないと利息が膨らんでいき、こうして揉め事も膨らむ。


裁判になれば、軍配はBに上がることは目に見えている。仕方なくAは相続した不動産を売り現金化する。そして750万円に利息などを足した金銭を支払う。

もし裁判をして負けたなら裁判費用もAが持つことになる。そして兄弟仲は悪くなる。


そもそも、遺留分を侵害する財産分割の遺言を母親が書かなければこんなことは起きなかったのだが、どんな感情がこんな遺言を書かせたのか?

二人の兄弟に身に覚えがないなら、悲劇としか言いようがない。

遺言の自由という権利はあるが、それを受け取る人たちのことを慮った遺言内容にしないと相続が争族になってしまうのである。


遺留分侵害額請求権

遺言を書くときは、この権利をよく調べてから書いた方がいい。

戦前の家督相続のような一方的な相続はやめましょう!というメッセージ性の強い規定だ。


この権利は相続開始から1年以内に行使しないと使えなくなります。










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更新日:6月18日



配偶者居住権、特別寄与料の支払い請求権

このふたつの権利は配偶者を守る権利として新しく登場した。

配偶者とは、夫から見れば妻であり、妻からみれば夫であるが、平均寿命から察すれば妻であると見るのが妥当である。

つまり、夫に先立たれた妻を守る権利が、配偶者居住権であり、特別寄与料請求権である。


具体的には、配偶者居住権は、夫が亡くなった時に夫と居住していた家に、夫の亡き後も住み続けることができる権利である。当たり前のようで、当たり前でなかった権利なのだ。

例え話で解説する。

夫の遺産が土地建物が3000万円、預金が1000万円であったとする。

相続人は配偶者である妻と子どもが一人だったとする。

法定相続分は妻が2000万円分、子どもが2000万円分となる。

3000万円の「土地建物」を妻が、1000万円の「預金」を子どもが相続するとすると、3000−2000は1000だから、妻は子どもに不足分の1000万円を現金で支払わなければならない。これはなかなか難しい。そこで配偶者居住権が登場する。


遺産分割協議で配偶者居住権を1500万円とみなし、預金1000万円は500万円ずつに分けることにすると、2000万円ずつ分けたことになり、妻は現金を支払わずに住み慣れた家に死亡するまで住み続けることができるのである。

この配偶者居住権は令和2年4月に施行された民法の規定であり、残された妻を保護する権利として登場した。

気を付けたいのは子どもとの関係である。子どもが先妻の子どもであり、妻と血のつながりがないなど関係性が不安定な場合、配偶者居住権は家に住む権利であるため、子どもが持ち分の土地を売ってしまうと現実的に家に住めなくなってしまうのだ。

また、配偶者居住権は配偶者が死亡するまでの権利で、第三者に譲渡できず現金化できないため、老人介護施設に入ろうとしても必要な現金が用意できないという不安もある。

子どもと仲がいいなら心配はないが・・・感情は権利を毀損する最大の要因だ。

配偶者居住権は遺言での遺贈や遺産分割協議で設定することができる。



特別寄与料の請求権も配偶者を守るための権利である。

夫が亡くなった後も、妻が夫の親の面倒を看るというケースはよくある。

超高齢化の時代は、逆順が不思議でない時代。

しかし、そもそも妻には夫の親の相続権はない。一生懸命夫の親の面倒を看てもこれまでの法律では保護されない。これはあかんと誰もが思う超高齢化時代の民法の不具合を是正するため、令和1年7月に施行されたのが特別寄与料の請求権だ。

相続人でなくても、被相続人の面倒を看た人に特別寄与料という金銭の請求権を認める規定が加わった。


民法1050条、その条文。

「1 被相続人に対して無償で療養看護その他の労務の提供をしたことにより被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした被相続人の親族(相続人,相続の放棄をした者及び第八百九十一条の規定に該当し又は廃除によってその相続権を失った者を除く。以下この条において「特別寄与者」という。)は,相続の開始後,相続人に対し,特別寄与者の寄与に応じた額の金銭(以下この条において「特別寄与料」という。)の支払を請求することができる。」


この特別寄与料がいくらになるのか?それは相続人同士の遺産分割協議で決まる。

特別寄与者に感謝を示すのか?それとも悪意を持つのか?器が問われる。

感情は権利を毀損する最大の要因、にならないことを祈るばかりだ。


弱い立場の人を守るのが法の役割だが、その弱みに付け込む輩がたくさんいる。

裏金獲得で企業回りに奔走する国会議員には必ず天誅が下る世の中にしなくてはどんなに弱きを守る法を作っても台無しになってしまう。


なお、こうした配偶者を守る権利は、残念だが内縁や事実婚の関係では使えない。










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更新日:6月18日





能登半島地震で壊れた建物の解体が進んでいない。

なぜなら壊れた建物が誰のものかわからないからである。実際にそこに住んでいても、その建物が登記されてなければ、第三者に自分のものだと主張できない。

持ち主が不明なものに公費は使えないのである。参照→住民が頭抱える“未登記問題”


登記とは建物や土地の戸籍であり、登記簿にはその不動産が誰のものかが記されている。

法治国家の権利の取得は、届出、申請、申立てなどを行政庁にすることで実現する。

子どもが生まれれば、出生届、結婚すれば婚姻届、お店をしたいなら営業許可申請、行政の判断に異議があるなら不服申立てを行うことで、権利を取得する。つまり、届出などの手続きは義務なのである。権利を得るためには義務を果たさなければならない。

至極当たり前のことだが、能登半島をはじめ、地方の僻地や農村、漁村では、この手続きの義務を果たさない、というか、意識がない状況がごく普通に罷り通っている。


先祖の代々の家と土地は、オラの家と土地という感覚が根強く、所有者を変更する登記が代々行われず、「先祖」という名無しの権兵衛の土地と家に、みんな暮らしているわけだ。

そして、自分たちの手に負えない天災が起きると、「先祖」ではなく、行政に頼るも、行政はその土地と家が誰のものか特定できず公費が使えないことになる。

未登記ということは、土地の区画も定かでなく、壊れた家の大きさも正確には把握できない。固定資産税は最後の登記の記録で割り出していたわけで、田舎の行政も住民の権利意識と大差ないといえる。


この権利義務意識の低さが日本という法治国家に大きなダメージを与えるのが選挙である。

もっとも重要な権利の主張と義務の行使である選挙で、「無投票当選」が増加している。

NHKの調査によれば、全国41の道府県議会議員選挙において、40%の選挙区が定員を超える立候補者がなく「無投票当選」となっているという。つまり選挙が行われなかったのだ。市町村レベルだとその数はさらに増加するという。

選挙が行われない民主主義国家という皮肉な有様が今の日本の姿なのである。


権利意識も少なく義務意識も希薄。金をもらえば金をくれた人に従う。金権主義である。

あのひどい太平洋戦争で原爆を落とされ大負けをした果ての80年後、私たちは未だに天皇を神さま扱いし、自分たちの権利と義務を棒に振って、再び大負けが始まろうとしている。


権利とは、義務という努力があってこそつかめることを忘れかけているか、そもそも気づいていないのかもしれない。長いものに巻かれる。米国に巻かれる。大企業に巻かれる。

死ねと言われれば、死ぬのだろうか?あんなに大負けした戦争を味わったにも関わらず。


いま、テレビのニュースが流れた。「ダイハツ同様、トヨタも型式検査をインチキしていた」と。はじめからわかっていたのに誰も何も言わないからインチキが蔓延する。


震災の焼け野原と空襲の焼け野原が重なって見える。まるで双子だ。





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